消えた書きかけの記事

書きかけてたのがあったのに消えてる、
やるきなくすなぁ、
まあそんな重要なことを書いてるわけでないからいいのだれけれども、書きかけの文章が有ったのは事実
私しか知らないけれどそれも思い出せない、もう永遠に誰も知らない文章




インターネットでの知り合いというのに会ったりした

顔を直接会わしたことがなくとも会話していたり連絡を取っていればそれだけの期間知り合いであるから実際会っても違和感がなかった
そりゃそうか

いろんな人に会っていろんな人の話を聞く事は楽しい

特に好きな音楽や映画アニメ漫画作品絵画からテレビ番組まで、様々な自分の触れたことのない文化を聞けるとさらにいい

その人がどんな影響を受けて生きてきたかわかる気がする ほんの一部でしかないけれど

そうすることでいろんな人生を知った気になれる
気になれるだけで完全に理解できるわけでないけども

その人がその作品や文化にどんな感情を持ったか、どんな影響があったかといった生の感想を得ることができるからだ
生の感想や情報はインターネットにはない

何が言いたいかわからなくなってきた

特に好んでいる映画やアニメといった映像作品は視覚聴覚と影響を受けると思うからとてもその人物に大きな影響があると感じるのも理由のひとつ

私は好き嫌いなく何でも吸収したがる性格であると思っているけれども、それでもインターネットでなんでも調べられる現代では、やはり嗜好傾向が偏るようになってる

何処かで誰かが言ってたけれども、SNSやインターネットって言うものは心理学的にも抑圧されていない自我の一部で、情報の取捨選択や発信がされているってあーなるほどね~となったり

アイコンであったり紹介文、関わりを持っているアカウントや、匿名掲示板での発言、なんでもある

インターネットで回答が得られない情報は極端な個人的なものや自然的なものしかない

どんなに需要のない情報でも、供給されれば公開されすぐに消え去り忘れられてしまう。不思議でロマンがあるとも感じる

現実よりも近くに感じる錯覚さえ起きる

勿論現実での人間関係も大切だがインターネットで簡単に出会えて簡単に消し去ることのできる関係だからこそ私は大切にしたいとも感じる

インターネットの端っこは沢山あるけれどどれもみんな有っても無くても楽しいと思う

車が飛んだり、何処にでも移動できるドアがあったりする未来よりも、人間が直接インターネットに接続できる未来が待ち遠しい

ウイルス撒かれたら大変そうだけど(小並感)